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大阪地方裁判所 平成3年(ワ)1834号 判決

原告

西坂多美枝

右訴訟代理人弁護士

村上充昭

被告

大阪府

右代表者知事

中川和雄

右訴訟代理人弁護士

土井廣

右指定代理人

湯本保郎

外一名

主文

一  被告は、原告に対し、三四九〇万〇一一一円及びこれに対する平成三年三月二七日から支払済みまで年五分の割合による金員を支払え。

二  原告のその余の請求を棄却する。

三  訴訟費用はこれを五分し、その三を原告の負担とし、その余を被告の負担とする。

四  この判決は、第一項に限り仮に執行することができる。

事実及び理由

第一  請求

被告は、原告に対し、八四〇一万六八四七円及びこれに対する平成三年三月二七日(訴状送達の日の翌日)から支払済みまで年五分の割合による金員を支払え。

第二  事実関係

本件は、原告の長男西坂昌敏(以下「昌敏」という。)が被告の設置する大阪府立成城工業高等学校(以下「成城工業」という。)の第三学年に在籍し、同校に設置されているプール(以下「本件プール」という。)において、体育担当の中岡厚夫教諭(以下「中岡教諭」という。)の指導の下、水泳の授業を受けて飛び込みの練習をしていた際、本件プールの底に頭を打ちつけて死亡したため、昌敏の母親である原告が、中岡教諭の指導上の過失(国家賠償法一条一項)又は本件プールの設置管理上の瑕疵(同法二条一項)を理由に、損害賠償を求めているものである。

一  原告の主張

1  昌敏は、昭和四六年六月三日生まれで、父親である西坂一重(以下「一重」という。)と母親である原告との間の子である。

2  昌敏は、昭和六二年四月、成城工業に入学し、同人の第三学年(平成元年四月以降)の時のクラス担任は、親道昭教諭であり、体育担当教諭は中岡教諭であった。

3  被告は、成城工業を設置管理する者であり、中岡教諭は、成城工業の教諭として被告に雇用されている者である。

4  昌敏は、平成元年九月一三日の五時間目(午後零時三五分から午後一時一五分まで)、中岡教諭の指導の下、本件プールにおける水泳の授業(以下「本件授業」という。)において飛び込みをした際、本件プールの底に頭を打ちつけて頸髄損傷、第七頸椎圧迫骨折並びに第六、七椎間板の後方脱出の重傷を負い(以下「本件事故」という。)、救急車で搬入された大阪市立城北市民病院に入院後の同年一〇月六日午後三時三九分、頸髄損傷による肺梗塞により死亡した。

5  水泳授業の指導を担当する教諭は、授業に使用するプールについて、授業中は勿論のこと授業開始前にも、常に安全に授業を行えるだけの水深があるか否かを調査し、万一目減りその他の原因で水深が浅くなっておれば、直ちにプールに注水して安全な水深を保持すべき注意義務がある。特に、本件プールの水深は、満水時においても、スタート台付近が1.14メートル、最浅部が1.13メートル、最深部が1.17メートルしかなかったのであるから、安全な水深の保持ということは重要性を有していた。しかるに、本件事故当時、本件プールは満水でなく最深部でも水深は約1.10メートルであったにもかかわらず、中岡教諭は、本件授業中は勿論、授業開始前にも本件プールの水深を調査せず、ただ漫然と本件プールが満水であったと経験で判断して本件授業を行ったため、本件事故が発生した。

よって、被告は、国家賠償法一条一項に基づき、昌敏らが被った損害を賠償する義務がある。

6  昌敏は、本件事故当時、身長が一七八センチメートル、体重が一〇三キログラムあり、通常の生徒に比して大柄な体格であった。したがって、中岡教諭は、昌敏の右体格を考慮に入れた水泳、特に飛び込みの指導をなすべき義務があったというべきである。しかるに、中岡教諭は、右義務を怠り、何らの指導をすることなく漫然と通り一遍の指導のみで本件プールにおいて昌敏に飛び込みをさせたため、本件事故が発生した。

よって、被告は、同条項に基づき、昌敏らが被った損害を賠償する義務がある。

7  前記5のとおり、本件プールは満水時でも最深部の水深が1.17メートル、最浅部の水深が1.13メートルしかなく、また、スタート台の高さが満水時の水面から約三四センチメートルであり、財団法人日本水泳連盟(以下「水泳連盟」という。)が一九九二年に改定した基準に合致していなかった。また、水泳連盟の定める基準自体、その安全性に疑問がもたれていたところ、本件事故時の最深部の水深は約1.10メートルしかなかったのであるから、本件プールで生徒が飛び込みの練習をすれば、生徒がプールの底に頭をぶつけるなどの人身事故が発生する危険性は常に潜在的に存在していたというべきである。まして、昌敏は、前記のとおり大柄な体格であったのだから、同人が本件プールで飛び込みの練習をすれば、本件事故のような人身事故が発生する危険性は高かったといわざるを得ない。したがって、本件プールには、そもそも設置管理上の瑕疵があるというべきであり、昌敏は、本件プールで飛び込みをしたため本件事故が発生したのであるから、被告は、国家賠償法二条一項に基づき、昌敏らが被った損害を賠償する義務がある。

8  本件事故により原告らが被った損害は次のとおりである。

(一) 昌敏の損害

(1) 逸失利益  三五〇八万八二三三円

昌敏の死亡当時、同人は満一八歳の男子であったから六七歳までの四九年間稼働して通常の男子労働者と同等の収入を上げることができたところ、平成元年賃金センサスの男子労働者の平均給与額は年間二〇五万三〇〇〇円であり、昌敏は四九年間右と同額の収入を得ることができたはずである。そして、昌敏は成城工業卒業後、原告及び昌敏の実弟拓郎(当時中学三年生)を扶養しなければならなかったのであるから、生活費等控除は三〇パーセントとみるのが相当である。

以上を基礎に新ホフマン係数(24.416)により逸失利益を算定すると、三五〇八万八二三三円になる。

205万3000円×(1−0.3)×24.416=3508万8233円)

(2) 慰謝料  二〇〇〇万円

(二) 原告の損害

(1) 付添費  一五万六〇〇〇円

原告は、昌敏が大阪市立城北市民病院に入院してから死亡するまでの間(平成元年九月一三日から同年一〇月六日までの二四日間)、同人の看護のため付き添いをしたところ、その付添費は一日当たり六五〇〇円が相当である。

6500円×24日=15万6000円

(2) 葬儀費用  一二七万二六一四円

(3) 墓地購入、墓碑建立費  二五〇万円

(4) 慰謝料  一〇〇〇万円

(三) 一重の損害

慰謝料  一〇〇〇万円

(四) 弁護士費用  五〇〇万円

原告は、被告が任意に本件損害賠償金を支払わないため、原告訴訟代理人に対し、本件訴訟の提起及び追行を委任し、大阪弁護士会の報酬規定の範囲内で弁護士費用として五〇〇万円を支払う旨約したところ、右五〇〇万円は、本件事故と相当因果関係のある損害である。

9  一重は、平成二年五月二五日、原告に対し、一重の被告に対する慰謝料請求権及び一重が相続により取得した昌敏の被告に対する損害賠償請求権の全てを譲渡し、平成六年四月一三日、被告に対し、内容証明郵便でその旨を通知した。

10  よって、原告は、被告に対し、国家賠償法一条又は二条に基づく損害賠償として、八四〇一万六八四七円及びこれに対する平成三年三月二七日から支払済みまで民法所定の年五分の割合による遅延損害金の支払いを求める。

二  原告の主張に対する認否

1  原告の主張1の事実は認める。

2  同2の事実は認める。

3  同3の事実は認める。

4  同4の事実は認める。

5  同5の第一段のうち、本件事故当時の最深部の水深が約一一〇センチメートルであったことは否認し、その余の事実は認める。第二段及び第三段は争う。

6  同6のうち、昌敏の体格が身長約一八〇センチメートル、体重一〇〇キログラム以上であったことは認め、その余は争う。

7  同7のうち、本件プールの満水時の最深部の水深が1.17メートルであることは認め、本件事故時の最深部の水深が約1.10メートルであったことは否認する。その余は争う。

8  同8の事実は否認する。

9  同9のうち、被告が平成六年四月一三日、内容証明郵便を受領したことは認め、その余の事実は知らない。

三  被告の主張

1(一)  成城工業では、各学年の水泳授業をいずれも水泳指導計画に基づいて行っており、昌敏が第一学年の時は別紙①、第二学年の時は別紙②、第三学年の時は別紙③のとおりの水泳授業計画であった。

ところで、水泳の飛び込みは、文部省の学習指導要領に基づき、体育の授業で取り扱うことになっているが、事故発生の危険性を内在しているものである。そこで、成城工業の水泳授業担当教諭は、新入生に対し、飛び込みの姿勢について、水面に対する入水角度が深いと危険であるから、浅い角度で入水すること、両手を必ず重ね親指を絡めて両腕を耳に付けることを徹底的に指導し、厳しくこれを遵守させ、生徒が第二学年、第三学年に進級してからも同様の指導を行っていた。また、担当教諭は、飛び込みにつき、生徒の能力・体力を考えて徐々に上達させることを心掛け、立位からの飛び込みに恐怖感を持つ生徒については、座位からの飛び込み(プールサイドに腰掛けた形から飛び込む方法)を指導していた。

(二)  成城工業における水泳の授業は、概ね毎年六月最終週から九月第二週まで約八時間行われ、生徒は、授業時間一時間につき概ね第一学年の時は約一〇回、第二学年及び第三学年の時は約一五回飛び込みの練習を行うのが普通である。

(三)  昌敏は、成城工業に入学して以来、担当教諭の指導に従った飛び込みの姿勢での飛び込みを繰り返し行ってきたのであり、水面に対する入水角度も浅く、同人の技量は五段階評価で五であり、本件事故発生まで同人の飛び込み方法に全く問題はなかった。

(四)  本件授業の際、中岡教諭が昌敏ら生徒に対し、授業の内容を説明・指示した後、生徒らは本件プールの南側より順次飛び込みをしたりして泳ぎ始めた。中岡教諭は、本件プールの東側プールサイドで、同プールの南東角より北へ約五メートルの位置で生徒の飛び込みあるいは水泳状況を監視・指導していた。そして、第一回目、第二回目の泳ぎには、昌敏の属するクラスの生徒全員が飛び込みを含めて何ら問題がなかった。その後、第三回目の泳ぎが始まり、中岡教諭は、第一回目、第二回目と同様、生徒の監視・指導をしていたところ、同人の目の前を泳ぐ生徒の泳ぎ方に問題があったので、生徒にアドバイスを与えていた。その時、「先生、先生。」という生徒の呼び声がしたので、中岡教諭は呼び声のする方へ振り向くと、昌敏が第二コースと第三コースを分けるコースロープに両手で掴まりながら浮いているのが分かった。中岡教諭は、直ちに、昌敏の近くに走り寄り、「どうしたか。」と声をかけると、昌敏は「頭を打った。」と答えたので、中岡教諭は「プールサイドに上がれるか。」と尋ねた。昌敏は本件プール内にいた生徒の助けを借りてプールサイド近くまで来たので、中岡教諭が「プールサイドに上がれるか。」と尋ねたところ、昌敏は「足が動かない。」と答えた。そこで、中岡教諭は、本件プール内に入水し、昌敏の頭と肩をそれで手で支え、プール内の生徒が昌敏の足を手で支えて、同人をプールサイドへ引き揚げた。その後、昌敏は、救急車で大阪市城北市民病院へ搬入された。

(五)  右(一)ないし(四)のとおり、中岡教諭の監視・指導には何ら問題がなかったことは明らかであり、本件事故は昌敏の個人的原因に基づいて発生したのであるから、中岡教諭に過失はなく、被告に責任はない。

2  本件プールの水深は、南側壁面より北へ二メートルの地点で1.14メートル、南側壁面より北へ五メートルの地点で1.17メートルである。また、本件プールの水面から飛び込みをする位置(スタート台)までの高さは0.395メートルである。

ところで、水泳連盟のプール公認規則(以下「公認規則」という。)の一九八七年に改定されたものによれば、「競泳用の標準プール(小中学校以外、二五メートル)の水深は1.00メートル以上、また、水面からスタート台上部までの高さは0.21メートル以上で、かつ、水深から0.55メートルを減じた高さ以下とする(但し、0.75メートルを超えないこと)」と定められている。したがって、本件プールは、水深及び水面から飛び込みをする位置までの高さのいずれも、一九八七年改定の公認規則に適合している。

また、昌敏は、成城工業に入学以来、本件事故発生まで本件プールで繰り返し飛び込みを行ってきたが全く事故を起こしておらず、昌敏以外の生徒、特に昌敏と同等あるいはそれ以上の体格を有する生徒が繰り返し本件プールで飛び込みを行ってきたが、全く事故を起こしていない。

さらに、高校生ばかりでなく、成人においても、中岡教諭が生徒に指導していた飛び込み方法で飛び込むと、入水角度は水面に対して約二〇度ないし三〇度となり、頭頂部の到達深度は約五〇センチメートルである。そして、仮に、入水角度が約五〇度であったとしても、頭頂部の到達深度は約八三センチメートルである。したがって、本件プールで飛び込みの練習を行った場合に、生徒が本件プールの底に頭部を打ちつける危険性は全くない。

以上より、本件プールは通常備えるべき安全性を具備しているというべきであるから、本件プールの設置管理上の瑕疵はなく、被告に責任はない。

3  過失相殺

右に述べたところから明らかなとおり、本件事故が発生したのは、昌敏が中岡教諭の指導に従った飛び込みをしなかったためであると考えるほかなく、したがって、仮に被告に賠償責任があるとしても、その賠償額は大幅に減額されるべきである。

4  損害の填補

原告は、平成元年九月一三日から平成二年三月二一日まで、別紙受領金一覧表のとおり、見舞金、死亡見舞金及び給付金などの名目で合計一六五八万四五四三円の金員を受領しているから、右金員は損害額から控除されるべきである。

四  被告の主張に対する認否

1  被告の主張1の(一)のうち、前段の事実は知らない。後段の事実は否認する。(二)及び(四)の事実は知らない。(三)の事実は認める。(五)は争う。

2  同2のうち、本件プールが一九八七年改定の公認規則に適合していることは認め、その余は争う。公認規則によるプールの水深の規定は、昨今、専門家により頻繁にその安全性に疑問が呈され、危険性が指摘されている。したがって、公認規則それ自体合理性がないのであるから、本件プールが公認規則に適合していることの一事で通常備えるべき安全性を具備しているとはいえないというべきである。

3  同3は争う。

4  同4のうち、原告が被告の主張する金員を受領したことは認め、その余は争う。

五  争点

1  中岡教諭に本件授業における指導上の過失があるか。

2  本件プールに設置管理上の瑕疵があるか。

3  原告の損害額

第三  争点に対する判断

一  本件プールに設置管理上の瑕疵があったかということについて判断する。

1  本件事故発生状況及び昌敏の負傷状況について、証拠によると次の事実が認められる。

(一) 本件プールは、南北方向に長さ二五メートル、東西方向に幅約一三メートルで、全部で六コースある。(乙一)

(二) 本件授業は、午後零時三五分から午後一時一五分まで四〇分間の短縮授業であり、授業開始の五分前に予鈴がなった。その後、昌敏の属していた三年七組の生徒三六名のうち、欠席者三名及び見学者三名を除く三〇名はプールサイドに集まり、体育委員の生徒が中心となって、準備体操、腕立て伏せ五〇回及びスクワットジャンプ(しゃがみ込んだまま真上にジャンプする。)を二〇回行った。(甲八、乙四、一三、証人中岡)

(三) その後、中岡教諭は、生徒をプールサイドに集め、授業開始の挨拶をして出欠の確認を行った後、生徒らに対し、次のとおり本件授業で行う予定を説明した。(証人中岡)

(1) 距離七五メートルの個人メドレーのタイム測定を行うこと。

(2) 右メドレーは、背泳、平泳ぎ、自由形の順で泳ぐこと。

(3) 右メドレーのタイム測定に先立ち、シャワーを浴びた後、二五メートルを三回飛び込んで泳ぐこと。飛び込みについて、飛び込める人は立った状態で、怖い人は座位のままで飛び込むこと。

(四) 中岡教諭の説明、指導を受けた生徒らは、シャワーを浴びた後、本件プールの第一ないし第三コースを使用して本件プールの南側より順次飛び込みをして泳ぎ始めた。

中岡教諭は、本件プールの東側プールサイドで、同プールの東南角より北へ約五メートルの地点に立って、生徒らの飛び込み方法や泳法などを監視していた。(検乙一ないし六、証人中岡)

(五) 生徒は、何ら事故を起こすことなく第一回目、第二回目の飛び込みを終え、第三回目の飛び込みを開始した。そのころ、中岡教諭は、右(四)と同じような位置に立って生徒の飛び込み方法や泳法を監視していたところ、新海という生徒の背泳のフォームに問題があったので、本件プールの南側から一五ないし二〇メートルの地点にいる同生徒に対し、右地点まで歩いて同生徒の背泳のフォームのアドバイスをした。その時、中岡教諭の左斜め後ろ(南側)から「先生、先生。」と生徒の呼び声がした。そこで、中岡教諭が呼び声のする方へ振り向くと、昌敏が第二コースと第三コースを分けるコースロープに両手で掴まりながら浮いているのが分かった。中岡教諭は、直ちに、昌敏の近くのプールサイドまで走り寄り、「どうしたか。」と声をかけると、昌敏は「頭を打った。」と答えた。中岡教諭は昌敏に「プールサイドに上がれるか。」と尋ねたところ、昌敏は本件プール内にいた生徒の助けを借りてプールサイド近くまで来たので、中岡教諭が再度「プールサイドに上がれるか。」と尋ねた。昌敏は中岡教諭に「足が動かない。」と答えたので、中岡教諭は、頸椎の事故ではないかと考え、本件プール内に自ら入水し、昌敏の頭と肩をそれぞれ手で支え、プール内の生徒が昌敏の足を手で支えて、同人をプールサイドへ引き揚げた。(甲八、証人中岡、証人松本)

(六) 中岡教諭は、プールサイドに引き揚げられた昌敏の左肘にかなりの出血を認めた。その後、養護担当の境教諭が担架を持って本件プールに駆けつけて来たので、中岡教諭は、一旦担架で昌敏を保健室へ運んだ。そのころ、救急車が成城工業の正面玄関に到着したことから、中岡教諭、境教諭及び担任の親道教諭の三人で昌敏を担架で救急車へ運び、同教諭らは、昌敏と同道した。(甲八、乙四、証人中岡)

(七) 昌敏は、直ちに救急車で大阪市立城北市民病院へ搬入され、脳外科で診察を受けた際、担当医師に対し、本件プールに飛び込んでプールの底に両肘を打ち、その次に前頭部を打ったこと、その直後より両上肢のしびれ感と脱力感があり、両下肢は全く動かなくなり、両上肢でコースロープにしがみつき、助け出された旨答えた。担当医師は診察の結果、頸髄損傷及び第七頸椎圧迫骨折並びに第六、七椎間板の後方脱出と診断し、直ちに前方倒達法による減圧術、前方固定術を施行した。しかし、手術後、昌敏は、意識ははっきりしているものの、依然として下半身は不随のままで神経学的な所見の改善が見られず、入院ベッド上でのリハビリテーションを施行していた。ところが、平成元年一〇月五日、突然昌敏の容態が急変し、肺梗塞の疑いで集中治療室で治療を受けたが、昌敏は、同月六日午後三時三九分、頸髄損傷による肺梗塞により死亡した。(甲六、八)

2  プールの設置基準について、証拠によると次の事実が認められる。

水泳連盟では、公認規則においてプールの規格を定めている。しかし、飛び込み事故が多いことから、水泳連盟では、一九七九年、一九八二年、一九八五年、一九八七年、一九九二年の公認規則の改定で順次プールの規格を改定している。そして、一九八七年改定の公認規則によると、競泳用の標準プール(小中学校以外。二五メートル)の水深は1.00メートル以上、また、水面からスタート台上部までの高さは、0.21メートル以上で、かつ、水深から0.55メートルを減じた高さ以下とする(但し、0.75メートルを超えないこと)と定められている。他方、一九九二年改定の公認規則によると、公認プール、標準プールともスタート台から前方五メートル間での水深が1.20メートル未満の場合には、スタート台を設置することを禁じている。(乙一六、一七)

他方、大阪府教育委員会が昭和五二年に刊行した「体育活動の安全資料施設・設備の安全管理 高等学校編」によると、大阪府立高校のプールの平均水深は最浅部で1.30メートル、最深部で1.50メートルとされている。(乙二四)

3  本件事故当時の本件プールの水深について、証拠によると次の事実が認められる。

(一) 本件プールの飛び込み台は、北側、南側の両側にあり、その高さは、満水時の水面から0.395メートルとなっている。本件プールの満水時の水深は、南側壁面から北へ0.2メートルの地点で1.14メートル、北へ一メートルの地点で1.13メートルと最も浅く、北へ二メートルの地点で1.14メートル、北へ三メートルの地点で1.15メートル、北へ四メートルの地点で1.16メートルと徐々に深くなり、北へ五メートルの地点で1.17メートルと最も深くなる。(乙一〇、二二、検乙一ないし六、証人中岡)

(二) 本件プールは、水をきれいに保つため、ろ過器が設置されており、水泳担当教諭が毎日、本件プールの水をろ過していた。ただ、水をろ過すると、ろ過器に貯まったゴミを逆栓する(ろ過器を逆にして流す)際、本件プールの水が目減りすることがあり、その場合、担当教諭が注水して本件プールが満水になるようにしていた。(乙一八、証人中岡)

(三) 本件事故当日、成城工業では、本件授業開始までに計六クラスの生徒が本件プールで水泳の授業を受けており、平泳ぎ、クロールなどの泳法のほか、飛び込みの指導を受けていた。また、本件プールでは、昌敏のクラスの他に第二学年のクラスが第四ないし第六コースを使用して水泳の授業を受けていた。そして、本件事故発生まで、昌敏の属するクラスの生徒は、中岡教諭の指導の下、飛び込みを二回行っていた。(甲八、証人中岡、証人中村)

以上の事実が認められ、また、本件全証拠によっても、本件授業中又はその直前に、中岡教諭あるいは他の水泳担当教諭が本件プールに注水したとは認められないことに照らすと、本件事故当時、本件プールの水位が満水時と比較してある程度低下していたことは容易に推認できるところである。

4  昌敏の体格及びこれまでの水泳授業における成績等について、証拠によると次の事実が認められる。

(一) 昌敏の平成元年五月一八日における身長は179.8センチメートル、体重は103.0キログラムであり、栄養状態としてはいわゆる肥満体型であった。(甲八)

(二) 昌敏は、第一、第二学年時の水泳授業に全て出席しており、体育の成績自体は五段階評価で三であるが、同人の水泳の飛び込みの技量に関していえば、第二学年では五段階評価で五であった。また、昌敏は、第三学年時の水泳授業について、第一回目の授業を欠席した以外は、本件授業まで全て出席しており、同人の水泳の飛び込みの技量については、第二学年時と同様、五段階評価で五であった。(甲八、乙四、六、一四、一五、証人藤田、証人中岡)

5  昌敏の飛び込み方法について検討する。

被告は、昌敏の飛び込み方法はスタート台より上に向けて高く飛び、頭から急角度で落下する飛び込みであった旨主張し、証人中村は右に沿う証言をし、また、甲第八号証には昌敏は入水後前方に突き刺さるような感じで飛び込んだとの記載部分がある。

しかし、中村証人の証言によると、同人は本件事故の際、本件プールの北西角から南に向けて座っており、本件事故当時、昌敏のことを普段から体格の大きい人であることは認識していたものの名前は知らなかった、本件事故発生前、自分のクラスを見ていたり、あちこち見ていて偶々昌敏の飛び込みを目撃したというのである。そして、そうだとすれば、中村は、昌敏が飛び込みをした飛び込み台から約三〇メートルも離れた所から昌敏の飛び込みを見ていたのであり、しかも、昌敏が飛び込みをするところを特に意識して見ていなかったと推察されるうえ、中村証人の証言は本件事故から約四年経過した後になされたものであって、記憶が曖昧になっているとみられるのであるから、右の証言をもって、昌敏が被告の主張するような飛び込み方法をしていたと推認することはできない。また、昌敏は入水後前方に突き刺さるような感じで飛び込んだとの甲第八号証の記載は、それをもってしても具体的にどのような形で飛び込んだのか定かでないし、検乙第七号証の3によると、中岡教諭の飛び込みそれ自体、水面に突き刺さるような感じであるといえなくもないことに照らすと、甲第八号証の記載から直ちに、昌敏の飛び込み方法が被告の主張するような態様であったと認定することもできない。

確かに、昌敏は本件事故が発生するまで、プールの底に身体を打ちつけるような事故を起こしていなかったことに照らすと、本件事故は昌敏の飛び込み方法に問題があったために発生したのではないかの疑問がないわけではない。しかし、右で検討したとおり、昌敏の飛び込み方法が著しく不当な態様であったと認定することはできないのであるから、結局、本件では、昌敏は、中岡教諭の指導から大きく外れることはない方法で飛び込みをしたものと推認するのが相当である。

6  本件事故前の成城工業の水泳指導状況について、証拠によると次の事実が認められる。

(一) 成城工業の水泳授業担当教諭は、毎年の最初の水泳の授業が始まる際、各学年ごとに生徒を剣道場に集め、水泳に対する心構えを一時限全部を使って説明し、飛び込みに関しては、入水角度が深いと危険であるから、浅い角度で入水すること、必ず親指を絡ませて両手を重ね、両腕を耳に付けることを指導してこれらを守らせるように注意していた。また、担当教諭は、生徒が飛び込みを行う際、当該生徒の能力・体力などを考慮して徐々に飛び込みが上手にできるよう指導し、立ち飛び込みに恐怖感を持ったり、技術的に未熟な生徒に対しては座位(プールサイドに座った状態)からの飛び込みを指導していた。(乙一一ないし一三、証人藤田、証人中岡、証人松本)

(二) 中岡教諭も、他の成城工業の水泳担当教諭と同様、最初の水泳の授業の際、生徒を剣道場に集めて水泳に対する心構えを説明し、飛び込みに関しては、身振り手振りで水面に対する入水角度の浅い、深いということを説明していた。そして、中岡教諭は、実際の水泳授業の際、本件プールサイドで生徒を集め、飛び込みを行う際、プールの入水角度は、水面と生徒の体が限りなく平行に近い形で飛び込むよう指導するとともに、自ら飛び込みをして生徒に飛び込みの模範を示したりしていた。また、立ち飛び込みに恐怖感を持ったり、技術的に未熟な生徒に対しては座位からの飛び込みを指導していた。(乙一一ないし一三、検乙七の1ないし4、証人中岡)

7  右認定の事実をもとに被告の責任を検討する。

国家賠償法二条一項にいう営造物の設置管理の瑕疵とは、営造物が通常有すべき安全性を欠いていることをいうところ、当該営造物の利用の態様及び程度が一定の限度にとどまる限りはその施設に危害を生ぜしめる危険性がその施設になくても、これを超える利用によって利用者又は第三者に対して危害を生ぜしめる危険性がある状況にある場合には、そのような利用に供される限りにおいて通常有すべき安全性を欠いており、右営造物につき設置管理の瑕疵があると解すべきである(最高裁昭和五六年一二月一六日大法廷判決・民集三五巻一〇号一三六九頁参照)。

これを本件についてみるに、本件プールは本件事故当時に適用されていた一九八七年改定の水泳連盟の公認規則には適合しているけれども、同規則は一九九二年に改定され、水深1.20メートル未満の場合にはスタート台(飛び込み台)の設置が禁止されることになったのであり、右改定の理由は、水深1.20メートル未満のプールではスタート台から飛び込みを行うことは危険であると判断したからに他ならないと考えられる。そして、平成四年(一九九二年)ころの時点において、危険性の有無を判断する基礎となる事情に変更があったことを窺わせる資料はないから、右の改定は、従来の事情のもとにおける危険性の評価の変更によるものとみるべきであり、したがって、一九九二年に改定された公認規則の評価は本件事故当時についてもあてはまるというべきである。本件プールは、満水時においても飛び込み台から前方二メートルの地点で水深が1.14メートル、最深部でも水深1.17メートルであるから、一九九二年改定の公認規則に定める基準を充たしていないうえ、近時の高校生は身体の発育が著しいから、教育設備を設置するにあたっては、身長が一八〇センチメートルを超える者や、体重が一〇〇キログラムを超える者の存在を当然に想定すべきものであるところ、そのような体格の生徒が満水時でも水深1.14ないし1.17メートルのプールに水面から0.395メートルの高さの飛び込み台から立ち飛び込みをすれば、プールの底に頭をぶつけて事故を起こす可能性は否定できない。中岡教諭を始め、成城工業の水泳担当教諭が生徒に対し、必ず親指を絡めて両手を重ね、両腕を耳に付けて水面に限りなく平行になる感じで飛び込むよう指導していたのも、本件プールで事故が起こる危険性を十分認識していたからであると考えられる。

被告は、高校生ばかりでなく、成人においても、中岡教諭が生徒に指導していた飛び込み方法で飛び込むと、入水角度は水面に対して約二〇度ないし三〇度で、頭頂部の到達深度は約五〇センチメートルとなり、仮に、入水角度が約五〇度であったとしても、頭頂部の到達深度は約八三センチメートルであるから、本件プールで飛び込みの練習を行った場合に、生徒が本件プールの底に頭部を打ちつける危険性は全くない旨主張し、乙第二三号証にはこれに沿う記載がある。しかし、乙第二三号証は中岡教諭が飛び込みをした際の報告であるところ、もとより中岡教諭と昌敏は体格が異なるのは勿論、飛び込みの技能も異なるのであり、また、飛び込みをした際の頭頂部の到達深度は、飛び込む人の体格、技能などによって自ずと異なるものと考えられることに照らすと、乙第二三号証をもって被告主張の事実を認めることはできないというほかない。

以上によれば、本件プールは、成城工業の生徒が普通に平泳ぎやクロールなどの泳法の授業を受けている限りにおいては、人身事故が発生するといった危険性は低いといえるけれども、立ち飛び込みで飛び込みをする場合には、人身事故発生の危険が存在するのであるから、本件授業で(授業内容として)立ち飛び込みが行われていたという点において、本件プールは、そのような方法により使用されるプールとして通常有すべき安全性を欠いていたものであり、本件プールには設置管理上の瑕疵があったというべきである。

8  よって、被告は、国家賠償法二条一項に基づき、原告らが被った損害を賠償する義務がある。

二  原告らの損害について判断する。

1  昌敏の損害

(一) 逸失利益

昌敏が死亡した当時、同人は満一八歳の男子であったことは争いがないから、昌敏は、少なくとも満六七歳までの四九年間稼働して通常の男子労働者と同等の収入を上げることができたといえる。したがって、平成元年度賃金センサス第一巻第一表による男子労働者の平均給与額年間二〇五万三〇〇〇円を基礎として、生活費の控除割合を五〇パーセント(なお、原告は、昌敏が成城工業を卒業した後、原告及び昌敏の実弟拓郎(昭和五〇年九月三日生まれ)の生活をみなければならなかったのであるから、生活費等控除は三〇パーセントとみるのが相当である旨主張するが、弁論の全趣旨によると、原告は自ら就労して生計を立てて拓郎を養育していること、拓郎が成人すれば原告のもとを離れて自立するものと認められるのであり、昌敏が成城工業卒業後、原告らを扶養する予定であったことを認めるに足りる証拠はないから、原告の主張は採用できない。)として、ホフマン方式(係数24.416)により中間利益を控除することによって死亡当時の逸失利益を算出すると、次の計算式のとおり、二五〇六万三〇二四円になる。

205万3000円×(1−0.5)×24.416=2506万3024円

(二) 慰謝料

本件の諸事情を考慮するならば、昌敏の受けた精神的苦痛を慰謝するには、二〇〇〇万円をもって相当と認める。

2  原告の損害

(一) 付添費用

証拠(甲六)及び弁論の全趣旨によると、昌敏は、本件事故により平成元年九月一三日から同年一〇月六日までの二四日間、大阪市城北市民病院に入院し、原告は、右の期間昌敏の付添看護をしたことが認められる。そして、付添看護料は一日当たり四五〇〇円をもって相当と認められるから、原告の付添費用は、一〇万八〇〇〇円となる。

4500円×24日=10万8000円

(二) 葬儀費用

証拠(甲一二ないし一五、一六の1、2)及び弁論の全趣旨によると、原告は、昌敏の葬式及び火葬を挙行するため、合計八一万五六三〇円を支出したことが認められるところ、右は本件事故による昌敏の死亡と相当因果関係があるといえるから、原告は、右と同額の損害を被ったというべきである。

(三) 墓地購入、墓碑建立費

証拠(甲三七)によると、名宛人を「舛田カヅエ」とする平成二年三月二八日付けの石碑代金八五万円の領収書が存することが認められるけれども、本件全記録を精査しても、右八五万円が原告が昌敏の墓碑を建立するために支出したことを認めることは困難であるから、原告が墓地購入、墓碑建立費相当の損害を被ったとは認められない。

(四) 慰謝料

原告は、昌敏の死亡により精神的苦痛を受けた旨主張するけれども、昌敏自身の精神的苦痛が慰謝されることにより、通常は原告の精神的苦痛も慰謝されるべきものであり、これを超えて原告が特別な精神的苦痛を受けたことを認めるに足りる証拠はないから、失当である。

3  一重の損害

原告は、一重自身の精神的苦痛による慰謝料をも合わせて請求するけれども、前記のとおり、昌敏自身の精神的苦痛が慰謝されることにより一重の精神的苦痛も慰謝されるべきものであり、一重が特別な精神的苦痛を受けたことを認めるに足りる証拠はないから、失当である。

4  過失相殺の主張について

被告は、昌敏が中岡教諭の指導に従った飛び込みをしなかったため、本件事故が発生したのであるから、昌敏には過失がある旨主張する。

しかし、前記一の5で認定判断したとおり、昌敏がどのような態様で飛び込みをしたのか証拠上明らかではなく、中岡教諭の指導に従った飛び込みをしなかったことを認めるに足りる証拠はないから、昌敏に過失があったとは認め難い。

よって、過失相殺に関する被告の主張は理由がない。

5  損害の填補

証拠(甲八、乙四)によると、原告は、特殊法人日本体育・学校健康センターから本件事故後の平成二年一月一六日、昌敏の死亡見舞金として一四〇〇万円、同年三月一四日、医療費として二五万六五四三円の支払いを受けたことが認められる。そして、右見舞金及び医療費は、本件事故の発生を原因として支払われたものであると認められるから、前記の損害金合計四五九八万六六五四円からこれを控除するのが相当である。

他方、原告は、右各金員の他に、別紙受領金一覧表記載のとおり、平成元年九月一三日から平成二年三月二一日まで、成城工業の校長や教頭などの関係者から見舞金や香典などの名目で合計二三二万八〇〇〇円の金員を受け取ったことが認められるけれども、その名目及び原告の損害額に対する受領金額の割合に照らすと、これらの金員は、いずれも昌敏が本件事故に遭遇したこと及び死亡したことに対して、成城工業の関係者が社会的な儀礼として、また、教育的な配慮という観点から支払ったものと解すべきであり、本件事故による損害の填補とみることはできない。したがって、右の二三二万八〇〇〇円を前記の損害金から控除するのは相当ではないというべきである。

そうすると、被告が支払義務を負うべき本件事故による損害は、四五九八万六六五四円から一四二五万六五四三円を控除した三一七三万〇一一一円となる。

6  弁護士費用

原告が本件訴訟の提起及びその追行を弁護士である原告訴訟代理人に委任したことは本件記録から明らかであるところ、本件事案の性質、審理の経過、前記請求認容額その他本件に現れた諸般の事情を考慮すると、本件損害としての弁護士費用は、三一七万円をもって相当と認める。

第四  結論

以上のとおりであり、証拠(甲二、四一)及び弁論の全趣旨によると、一重は、平成二年五月二五日、原告に対し、一重の被告に対する損害賠償請求権及び相続(相続分二分の一)により取得した昌敏の被告に対する損害賠償請求権の全てを譲渡し、その旨を内容証明郵便で被告に送付したことが認められ、被告が平成六年四月一三日、内容証明郵便を受領したことは争いがないから、原告の請求は、三四九〇万〇一一一円及びこれに対する本件訴状が送達された日の翌日である平成三年三月二七日から支払済みまで年五分の割合による金員の支払いを求める限度において理由がある。

よって、原告の請求を右の限度で認容し、その余は理由がないからこれを棄却し、訴訟費用の負担につき民訴法八九条、九二条一項本文を、仮執行の宣言につき同法一九六条一項を各適用して、主文のとおり判決する。

(裁判長裁判官窪田正彦 裁判官佐賀義史 裁判官島岡大雄)

別紙〈省略〉

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